歩き続けよう

川本真琴は今何してるのでしょうか




Lip Cream

84年3月、元カムズのミノル(b)とナオキ(g)、マル(dr/元あぶらだこ)らで結成。ラフィン・ノーズのチャーミーの<AA>からのコンピレーション盤『Hardcore Unlawful Assembly』が、初の音源発表となる。ヴォーカルに元デッド・コップスのジャジャが入り、84年に2枚の7"EPを出すころには、ドラムスがピルに固まる。その後JICC(現・宝島社)から出た、コンピレーション・カセット・ブックの『Punx』に参加(他にラフィン・ノーズ、ガス、GISM、ウィラード、コブラも収録)。またヘヴィ・メタルハードコア・パンク合同のコンピレーション『Devil Must Be Driven Out With Devil』にも入る。同時期、英国の<EARACHE>のコンピレーション・ソノシート『Anglican Scrape Attic』にも参加。他に収録されたのはエクスキュート、Concrete Sox、Sacrilege、Hirax。そして1stアルバム『Kill Ugly Pop』を、86年に<CAPTAIN>からリリース。以降コンスタントに、<SELFISH>からアルバム『Nine Shock Terror』『Close To Edge』を発表し、いくつかのコンピレーションに参加。そして89年の『Lip Cream』がラスト・アルバムとなった。
リップ・クリームのハードコア・パンクはドライヴ感たっぷりで、とにかくセンスがよく、世界的に見ても類を見ない。加速していったサウンドはもちろんのこと、年を追うごとにスケールを増し、詞の世界も広がっていった。一時フォロワーが頻出したほどで、いまだに支持は衰えない。そして、常にハイ・テンションだったがフレンドリーでもあったライヴを、リップ・クリームはホント精力的にやったのだ。当時としては珍しく全国ツアーを何度も行ない、オウトなどとの合同ツアーもあった。なお解散後、ミノルはカラード・ライス・メン、ジャジャはジャッジメント、ピルは自己のユニットのオーガリッシュ・オーガニズムなどで活動している。 






ガスタンク


80年代初頭の東京3大ハードコア・バンドのひとつ、エクスキュートの核であったBABY(b)/BAKI(vo)と、COMESを脱退したMATSUMURA(dr)、元DEAD COPSのTATSU(g)により結成された超強力スーパー・グループ、ガスタンク。83年にインディーズ・レーベルそして人気/実力共に頂点を迎えた87年、ドラマーをPAZZにチェンジし、『UNDER THE SUN』でメジャー進出。翌88年には、L.A.録音による『MOTHER』、ミニ・アルバム『MIDNIGHT RAIN』(この時期、バンド名を"GASTUNK"から"GASTANK"に改める)と、ハードロック色を強めたスケールの大きい作風を展開していく。しかし、それは"早過ぎたヘヴィ・ロック"と言えるかもしれない。--時代が彼らに追いつけぬなか、BABYが脱退を表明。88年12月・渋谷公会堂での3部構成、3時間に及ぶ解散ライヴ(この模様はアルバム『THE END』に凝縮されている)をもって、活動に終止符が打たれた。世紀末の99年に、一度だけ復活。往年と変わらぬテンションの高いステージングで、かつての、そして次世代のファンをも魅了した。