空創クリップ

phew,Friction,突然ダンボール、すきすきスウィッチ8 1/2,Lizard,タコ、チャンスオペレーション、フリクション、サロンミュージック


EP-4は、1980年6月、京都のディスコ「クラブ・モダーン」の常連だった人々によって結成された、ファンクバンドである。
「汗をかかないファンク」「クールなファンク」、当時はその様に称される事が多かった。と、いうのもリーダーであった佐藤 薫のヴォーカルスタイルが、余りにも特異であったからだ。
肉声を用いず、数限りないエフェクターを駆使し、極限まで圧縮加工されたものであったのだ。
それは、YMO,Kraftwerkなどが愛用した「ヴォコーダー」と呼ばれる装置とは又違い、非常にエモーショナルな感があった。
「何か主張したい、何か伝えたい」という想いをエフェクトでマスクしてしまう、そんな印象さえ受ける。
さて、彼らは81年京都におけるギグ「アーバン・シンクロニティ」で高い評価を得て、その後の82年5月京都、大阪、6月には東京にて「エマージェンシー・ランディング」ツアーを敢行する。この辺りから全国のニューウェーブファンの、口の端に上りだして来た様に思う。
そして、その年のクリスマス「パルコ・モダーンコレクション」に出演。
しかしこの時は、キーボードのバナナ氏とのユニットで(unit-3)登場。ノイジーサウンドを聴かせる事に終始した


サロン・ミュージック
80年代前半からマイペースに活動する竹中仁見(Vo/G)と吉田仁(B/Vo)の2人組ユニット。1982年、U.K.のフォノグラムからシングル『HUNTING ON PARIS』でデビュー。その後、日本のレコード会社各社より、アルバム6枚(編集盤を含む)をリリース。1995年にトラットリアより、アルバム『MASH』をリリース。以降、トラットリアよりアルバムを5枚(ベスト盤を含む)をリリース。
メンバーの吉田仁は、プロデュースも多数手掛けており、主なプロデュースアーティストは、フリッパーズ・ギター、ヴィーナスー・ペーター、ブリッジ、ザ・コレクターズピロウズ、ペンギンノイズ、スパングル・コール・リリ・ラインなど。



井上 鑑
1953年東京生まれ。
桐朋学園大学音楽部作曲科在学中(三善 晃氏に師事)よりCMの音楽の作/編曲家、キーボードプレイヤーとして活躍をはじめる。FM、NHK教育TV、WOWWOW等でもパーソナリティとして活動。その後、アレンジャー/プロデューサーとして多数のアーティストのプロジェクトに参加。1981年には寺尾 聰のアルバム「REFLECTIONS」が130万枚以上という記録的大ヒットとなり、レコード大賞編曲賞等多数受賞。1981年、SINGLE「GRAVITATIONS」(ヨコハマタイヤASPEC CM)で、ソロ・アーティスト・デビュー。以後、先鋭的なサウンドと歌詞をあわせ持つ13枚のオリジナル・アルバムを発表し、コンサート・ライヴ活動も行い続けている。また、ピーター・ガブリエル・バンドのギタリストDAVID RHODESとのコラボレーションによる「HEADS HANDS AND FEET」(1986)、「雪のひとひら」(1993)、の制作前後より、イギリスとの2拠点化が進み、多数のプロジェクトをLONDON BASEで制作。5人の個性的なボーカリストと琴、ベース、キーボードのユニット「THE VOICE PROJECT」、山木秀夫金子飛鳥とのスーパーTRIO「R.H.M」、琴の川村昌子とのプロジェクト、吉川忠英とのDUOなどをプロデュースし、それぞれのCD制作、ライヴ活動を展開している。またDANCE、SCULPTURE等のアーティストとのコラボレーション作品も多い。
1996年より、国立音楽大学音楽デザイン学科にて新しい音楽語法についてのレクチュアを担当。2000年2月には注目の尺八奏者 中村明一とのプロジェクト「遊牧座」のファースト・コンサートを行う。1999年7月にCD「葉っぱのフレディ」に編曲家として参加、2000年2月には作曲、編曲を手掛けたピアノ曲集「葉っぱのフレディ / 7つのパラフレーズ」ピアノ版CD+楽譜集を発表。



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